2019年9月24日火曜日

猫マーケティング

マーケティングの本を読んでみた。
なるほど、世の中のビジネスはこんな仕組みで回っているのか、と納得しつつも
自分の目指す音楽にマーケティングは全く当てはまらなそうだということがわかった。

そんな時に本屋の新刊コーナーで目に止まったのは「読みたいことを、書けばいい。」というタイトルの本。
このタイトルだけでも、ああ、そうか。と思わせてくれる。
あなたが読みたいものを、あなたに向けて書けばいいのだ。
音楽も同じかもしれない。
バンドマンである前に、音楽リスナーでもある。
そのことに気づけた。

ところでこの本に書かれていたのだけど、出版社の間では、
”表紙に猫か子供、入れときましょー”なんて会話があるらしい。
猫か子供が表紙になると売れ行きがいいらしい。
私はアイコンに猫をかいている。
歌詞にも猫が入ることが多い。
猫が大好きだからであって、猫いれとけばオッケー!な人とは違う。
しかしどっちであっても一緒なのだ。
それは困りものだ…。
だからといって頑なに猫を使わないのも自分に嘘をついていることになる。

過去にも自分が好きなドット柄のパンツが全国的にはやったことがあり、トレンド服としてユニクロやGUからも出たもので、
街いけば同じようなパンツの人とすれ違うようになったことがある。
「私、トレンドに乗っちゃってますぅ、るんるん♩」というキャラでは決してないので、泣く泣くドットパンツを引き出しの奥にしまった。
そしてトレンドが落ち着いた頃から引っ張り出して着ているのだけど、流行遅れとでも思われているのだろうか…。

猫もブームなのかな。
ブームが去っても私は猫を愛してます。
まあ、結果猫を多用しても売れてないんですがね。
そんなもんですね。


我輩は猫ではないという歌詞の曲です↑



2019年9月23日月曜日

それぞれの戦い

30度、夏。
風が強くバス停がぐらぐらしていた。
倒れてこないでね。と思いながら並んでいると、夏休みのプールの匂いがした。
それは匂いのせいだけではなく、
昔の夏は確か、このくらいの気温でこのくらいの湿度だったからじゃないだろうか。

歌詞を書いている。後半戦。
明日にはできていてほしいから集中せねば。

歌詞を書いていると自分の中に起こる矛盾に度々悩まされる。
例えば生きづらい閉塞感にNGを出す歌詞を書いておきながら、カフェで椅子を引く音がでかくて何度もそれをやる人にはイラついてしまう。
たくさん席が空いているのに私とお見合いしているような位置に座る人にも。
楽しいショッピングモールに向かうバスの運転手がクラクション鳴らしまくるやんちゃなおじさんだったのにも。

結局は私も閉塞感のもとになっているのだ。
この矛盾とも戦っている。


帰り道、よく見かける猫たちにまた出会った。
見かける度に喧嘩している。
喧嘩と言っても決まって茶色いほうが怯えながら鳴いていて、グレーのほうがヤンキーのように顔を近づけて睨みつけている。
近くを通ってもこちらのことなど全く気にもしない。
しかも今日は茶色いほうは転がって鳴いていた。
降参のポーズをしているのにボスは容赦なく上から睨みつける。
止めたほうがいいのか迷うけど相手にされなそうだし、下手したらボスにやられそう。
でも、なんだかんだでいつも一緒にいるので仲がいいのかもしれない。

猫の世界も大変そうだ。

2019年9月22日日曜日

食パントレードオフ

number girlが京都音博に出た日。

インスタ上に流れてきた田渕ひさ子さんの映像にぐわっと涙しそうだった。
ひさ子さんが超絶かっこいい演奏をしている時に私は焼きたて食パンを買っていた。
パンの入った袋を膝の上にのっけると熱が伝わってくるくらいの焼きたてで、ふわんといい香りがしていた。
こんな小さな幸せにかまけているから再生回数ものびないのだろうか。

焼きたての食パンは熱くて切ってもらえないらしい。
自分で切ってみたらいびつな形になってしまった。
それに焼きたての蒸気でパンの紙袋が破れてパンの耳が蒸された。
こんな小さな不幸で帳尻あわせて再生回数のびてほしい。

今日も歌詞を書いている。
もうちょっとで仕上げの段階。
kamadinsky師匠にやることがないので歌詞を送ってくれと言われたので先にできた前半部分をメールで送る。
できれば自分の頭の中でなってるリズムで歌ってお届けしたかった。
嫌がられるんだろうけども。

しかもこの曲後半でつじつまがあう歌詞になる予定なので前半だけ送られてもつまらない歌詞だと思われるのかなーとか。
送ったあとに少し不安になったりしている。

歌詞を送ったあと、いつもすぐには良いとも悪いとも言われない。
MVまで終わって完成した後にいい歌詞だと言われたことはあるけど、
それは師匠のメロの力も込みだと思うのですがね。

まあ、するっと放置されたまま後半を完成させようと思います。

2019年9月21日土曜日

原始人ゲーム

もう3年くらい続けているゲームがある。
virtual villagers origins2という原始人の生活を見守るゲーム。
1日10分くらいずつ原始人の行動を見守って村づくりを手伝ってきて3年。
ほぼ全ての課題が解決し、村は安定して回るようになった。
こちらのやることもあまりなくなってきた。
もう教えることは何もない。
去り時なのか。少し寂しい。

どうぶつの森も少し前までやっていた。
シムシティとか、街を作る系も好きだ。
というか子供の頃からゲームは大好きだ。
ファイナルファンタジーシリーズで号泣しながらゲームしたことは忘れられないし、特にXのストーリーや音楽は自分がその世界にいたかのような疑似体験をして色濃く残っている。

ここ10年くらいは、ゲームを制限している。
ゲームというものはこの何にも依存しにくい飽きっぽい私がはまれるシステムを見事に作り上げている。
よし、やめるぞ!と決心してやめたわけじゃなく
なんとなくゲームやるより自分の人生どうにかしなきゃな、余裕がないな、と思ったからかも。
やりたいことが多くて時間が足りないから時間を奪うものがこわいってのもある。

そうして最近思いついたのが問題解決をして達成感を自分に与える方法。
ずっと治療していなかったケロイドを治療して完治させるというゲーム。
自分の髪に一番合うシャンプーを探すというゲーム。
お腹がぐるぐるしないスタバの飲み物を探すというゲーム。

まだまだあるけど、そんな細かいゲームを頭の中で作ってなるべく楽しめるように工夫してやっている。
自分が原始人になってそれを見守るゲーム、みたいな。

ただ音楽だけは、そんな簡単なものじゃなさそう。
歌詞も書けるときと書けないときがあるから作り続けているし。
学生の頃、「音楽もスポーツみたいに結果や成長がわかりやすかったら良かったのに」とブログに書いたことがあった。
今は、なかなかわからないから面白いんだってことに気づいた。


2019年9月20日金曜日

ブログ

書く

地味なバンドマン

気がつけば蝉の声は虫の声へと完全に変わっていた。
夜の寒さに秋を感じた。

歌詞を書いている。
前回の「irohanoi」そして最近公開した「neko mo mataide」の歌詞を書いてからだいぶ間があいてしまっていた。

neko mo mataide は公開して一週間くらいになるのかな。
youtubeにアップしてるだけではたいした変化は起こらず、まさに”猫も跨いで”状態だ。いつものことだけれど。宣伝が苦手。
正直もうちょっと見られたいしチャンネル登録も増えてほしい。

最近になって、ノートに書いたいくつもの言葉の中からこれだと思える歌詞を自信をもって選べるようになってきた。
これだと思うものに丸をつける。
ただし次の日にもう一度チェックしてみないと、真夜中に書いた手紙みたいなことになることもある。それは気をつけている。
少し前までは力の抜けた自然体の歌詞に憧れていた。
私もあんな歌詞が書きたいな、と思うことがある。
しかし私は普通に詩を書くと文自体が熱くなってしまう。

「何者でもない僕らはアバンギャルド!」なんて強い歌詞を書いてなんだかんだはまらなくてボツになった。
結局その部分は「ハリボテに魂(ソウル)こめて緞帳アップ」に変わった。
→furaibo eregy

そのままでもロックの歌としてはありなのかもしれないけど、いつからかkamadinsky師匠が歌うということを強く意識して書いていくことにした。
south crow mountainという形があってそこを通して表現するということも。

そしてもう一つ気をつけていることは歌詞に嘘がないようにすること。
今日、町田康さんとbetcover!!の対談を読んでいて、そんな話が出ていて嬉しかった。
10曲くらい書いてきて、意外と私言いたいことがたまってるんだなぁと気づいた。

それをkamadinsky師匠はいい感じのメロに落とし込んでくれて、今までの曲にはとても愛着がある。
だけど宣伝が苦手。
そろそろライブもやるべきなのかな、と考えている。
歌詞を書いている間は一人でぼーっと考え事をしたり一人で書いていたりものすごく静かで地味な生活で、音楽活動をしてる感じが全くない。
今日は誕生日だけど、いつもと変わらず。
今もマックに一人。
咳をしても一人。